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訴  状

2001年12月12日

千葉地方裁判所

   民 事 部  御 中

 

          原告ら訴訟代理人弁護士  11名

   原告ら及び原告ら訴訟代理人   別紙目録のとおり 

 

 

   〒100−0013  東京都千代田区永田町二丁目3番1号 首相官邸

                          被  告     小  泉  純一郎

 

   〒100−0013  東京都千代田区霞ケ関一丁目1番1号

                          被  告     国

          代表者法務大臣  森  山  眞  弓

 

損害賠償請求事件

      訴訟物の価額       金400万円

      貼用印紙額         金2万7600円

 

 

請求の趣旨

 

1.被告小泉純一郎と被告国は連帯して、原告それぞれに対し、金10万円を支払え。

2.訴訟費用は被告らの負担とする。

 との判決並びに仮執行の宣言を求める。

 

請求の原因

 

第1.本訴訟の意義

  1.はじめに

   原告らはこれまで、それぞれの立場で信教の自由をはじめとする精神的自由の重要性を認識し、その権利擁護と発展に努め、これらの権利を否定する動きや、侵害する行為に対しては、強く反対してきた者らである。

      しかるに、被告小泉は、今年4月の自民党総裁選中から「靖国神社の公式参拝は日本人の原点だ。(内閣総理大臣就任後は)日本のために犠牲になった人のために参拝する。」(自民党総裁選中の公約)、「戦争の犠牲者への敬意と感謝をささげるために、靖国神社にも内閣総理大臣として参拝するつもりだ。」(5月14日衆院予算委員会での答弁)等の発言を繰り返し、内閣総理大臣として参拝する姿勢を終始明確にしてきた。

      そして、本件参拝後、被告小泉は、報道陣の質問に対して、「内閣総理大臣として参拝した。」と明言したのである。

      被告小泉の本件参拝は、明らかに日本国憲法20条(信教の自由の保障と国の宗教的活動の禁止)に違反している。

   さらに、国家からの干渉を受けることなく自由に宗教を信じ、あるいは信じない宗教生活上の権利をも否定されたという意味においては、個人の尊重、思想及び良心の自由を保障した憲法13条・19条にも違反しているといわざるを得ない。さらに、靖国神社が深く軍国主義と結び付いてきた歴史に鑑みるとき、前文と9条にこめられた憲法の平和主義をも踏みにじるものであり、原告らは決してこれを黙過できない。

 

  2.原告らの立場と苦悩

      原告らは、概ね次の3グループに分けられる。その1は戦没者の遺族である者、その2は特定の宗教を持つ者、3は特定の宗教を持たない者である。

   このことは原告らによって市民すべての靖国神社に対する思いなり思想が代弁されることを示している。

 (1) 遺族

   市民を臣民として統一し、戦争へ駆り出すための軍事施設としてあった靖国神社に、死してもなお軍帽・軍服姿を強制されている親しきものを解放し、静謐の内に追悼したいというのが、遺族たる者のささやかではあるが切なる悲願である。

 (2) 特定の宗教を持つ者

     浄土真宗の僧侶、キリスト教の牧師・信徒にとっては、被告小泉らの行為によって、単に信教の自由が侵害されたにとどまらず、人間として「存在」、すなわち「生きていること」そのものが否定されたことを意味するのである。

     被告小泉の本件参拝は、宗教を持つ原告らの信心・信仰すなわち「いのち」そのものに先ず冷水を浴びせ、しかる後に熱湯を浴びせかける所為にも匹敵するものであり、原告らがその心身に受けた悲痛と怒りは表現の術を知らない程である。

 (3) 特定の宗教、もしくは信仰を持たない者

   原告らの中には、国家による教育の管理統制が進む今日、「再び教え子を戦場に送らない」との自己批判の思いを生涯にわたって守ろうとする教育者もあり、また会社員、自営業者などと職業こそ異なれ、今日のテロを契機とする戦争の惨禍の広がり、そして軍備の拡大強化と海外派遣をも目指す日本の今日の姿を目の前にして、また再び日本が新たな加害者への道を歩むのではないかと心を痛めているのである。

 

 3.本件訴訟の求めるもの

      原告らは、本件訴訟において憲法にいう信教の自由と政教分離原則の意義とその重要性を司法の場において再確認し、本件参拝が宗教的人格権及び宗教的プライバシー権を侵害する違憲・違法のものであることを明らかにし、自らと市民すべての人としての今と将来の信教の自由をはじめとする内心の自由と平和の中に生存し続ける権利を擁護したいと思うのである。

 

第2.当事者

  1.原告ら

  (1)原告らの内、別紙原告目録1から3の者は、いずれも戦没者の遺族であり、それぞれの宗教ないし信条によって戦没者の追悼・慰霊をしている者である。

  (2)同目録4から32の者は、キリスト教徒であり、牧師または信徒である。

  (3)同目録33の者は、仏教徒であり、僧侶である。

  (4)同目録34から40の者は、特定の宗教や信仰を持たない者である。

 

第3.被告小泉の靖国神社への参拝(本件参拝)

 1.被告小泉の靖国神社参拝

   被告小泉は、本年8月13日、靖国神社に参拝した。この日被告小泉は、靖国神社本殿に昇殿し戦没者の霊を祀った祭壇に黙祷した後、深く一礼を行った。

   本件参拝に際し、被告小泉は、靖国神社への往復に公用車を用い、秘書官5名を随行させた。

   さらに、被告小泉は、靖国神社本殿昇殿に先立ち、同神社拝殿において「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した外、祭壇に供えさせていた「内閣総理大臣小泉純一郎」という名入りの献花料として金3万円を支払った。

 2.本件参拝へ至る経緯  

  (1) 被告小泉は、2001(平成13)年4月18日の自民党総裁選の討論会で「尊い命を犠牲に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感謝の誠をささげるのは政治家として当然。まして首相に就任したら、8月15日の戦没慰霊祭の日に、いかなる批判があろうと必ず参拝する」と発言した。

      さらに、首相となった被告小泉は、5月14日の衆院予算委員会では「靖国神社に参拝することが憲法違反だとは思わない」と公言した。(以上、8月14日、朝日新聞)

        これに対し、「中国外務省の王毅次官は17日、阿南惟茂・駐中国大使を同省に呼び、小泉首相の靖国神社への参拝の意思表明について『両国関係が直面している重要な問題を慎重に処理するよう厳粛に要求する』と述べた。中国政府が小泉首相の参拝問題で公式に申し入れたのは初めて」であった。

      同時に「王次官は、日本の歴史教科書問題や台湾の李登輝前総裁の訪日問題に続いて首相の参拝問題が出たことを指摘し、『(中国)人民の警戒心を呼び起こさずにはいられない。日本の指導者の参拝への対応は、日本政府の過去の侵略の歴史に対する態度を試す試金石だ』と強調した」。(以上、朝日新聞サイト、5月18日)    

    中国を訪問した自民党の山崎拓、公明党の冬柴鉄三、保守党の野田毅の三幹事長は、7月10日に中国の江沢民国家主席らと会談した。山崎氏ら日本側出席者によると、江主席は会談で日中関係を重視する姿勢を示したが、「そのうえで江主席は抗日戦争の歴史などにも触れ『歴史的な問題はきちんと処理しなければならない。火をつけると大きな波風を起こす可能性がある』と述べ、歴史問題での慎重な対応を求めた。小泉首相の靖国神社参拝を念頭に置いた発言と見られる」

    「さらに唐外相は、小泉首相の靖国神社参拝について、85年の中曽根康弘首相(当時)の公式参拝で日中関係が悪化した例を挙げて反対を表明した」。(以上、毎日新聞サイト、7月11日)

    「小泉首相は11日夜、韓国、中国訪問から帰国した与党3幹事長と会談した。首相の靖国神社参拝について『中国の反応が厳しい』との報告に対し、首相は『熟慮してみる』と答えた」。(朝日新聞サイト、7月11日)

      「田中真紀子外相は24日、ハノイ市内のホテルで唐家セン中国外相と会談した。小泉純一郎首相の靖国神社参拝方針について唐外相は『首相が8月15日に参拝すれば中国の民衆からの強い反応が出てくるに違いない。友好の基盤が崩れることを心配する』と強い調子で警告し、参拝中止を求めた。これに対し、田中外相は『8月15日まではまだ時間があるので首相に伝える』と述べ、要請を首相に伝える考えを示した」。(毎日新聞サイト、7月24日)

    また、「田中外相は26日、小泉首相が8月15日に靖国神社に参拝することを表明していることについて『首相というポストの人が、なぜ、あえて行くのか。行かないでいただきたい』と述べ、首相の靖国神社参拝に反対する姿勢を明確にした」。(7月27日、朝日新聞)

    「参院選期間中、公明党の神崎武代表は靖国問題について『慎重な対応』を求めるだけにとどめていたが、29日夜の投票終了後にはテレビ番組で『参拝反対』を明言。自民党の山崎拓幹事長も8月15日の参拝は好ましくないとの考えを表明した。田中真紀子外相は一貫して参拝に反対する意向を示し続けており、終戦記念日が近づくにつれ、靖国に対する首相の強いこだわりが浮き彫りになりつつある」。(毎日新聞サイト、7月30日)

    7月30日、被告小泉の靖国神社参拝について田中外相は「憲法20条(政教分離)の問題もある」と指摘した。また外相は、「首相は国家の意思そのもの。個人だなんだと分けるという風な姑息な手段を使わないでいただきたい」とも批判した。(朝日新聞サイト、7月31日)

    「中国を訪問中の自民党の野中広務幹事長らは2日、北京市内で唐家セン外相と会談した。小泉首相の靖国神社参拝問題について唐外相は、『長い間、日中関係を築いてきただけに、公式参拝となれば来年の日中国交正常化30周年という節目をより友好親善の足がかりにしたいと考えてきたことが大きく崩れることになりはしないか』と語り、懸念を伝えた。野中氏は『首相は与党と協議して熟慮すると言っているので、そのことに期待したい』と述べた」(朝日新聞、8月3日)

  (2) 被告小泉が靖国神社に参拝する日程を終戦記念日の15日以外にずらす案が10日夜、政府内で浮上した。中国、韓国などから再考を求める声が予想以上に強く、国内でも慎重論が広がったため、15日に強行すれば政権運営に支障が出るという判断からだ。(8月11日、朝日新聞)

  3.被告小泉の参拝行為

  (1) 被告小泉は13日夕、靖国神社に参拝した。終戦記念日(15日)の参拝は、近隣諸国や国内の強い反発を考慮して断念し、時期を前倒しした。現職首相の靖国参拝は96年7月の橋本龍太郎首相以来5年ぶりとなった。福田康夫官房長官は首相参拝に先立ち、「戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせるのは、望むところではない」とする「首相の談話」を発表した。

    被告小泉は13日午後4時30分過ぎ、公用車で靖国神社に入り、参集所で「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳。その後、本殿に進み、85年に公式参拝した中曽根康弘首相と同様、一礼方式で参拝した。被告小泉は靖国神社参拝後、記者団に公式参拝か私的参拝かについては「公的とか、私的とか、私はこだわりません。内閣総理大臣である小泉純一郎が心をこめて参拝した」と語った。(8月14日、朝日新聞)

  (2) 韓国政府は13日、被告小泉の靖国神社参拝について「繰り返し憂慮を伝えたにもかかわらず、小泉首相が日本の軍国主義の象徴である靖国神社に参拝したことに深い遺憾を表す」という外交通商省スポークスマン声明を発表した。

    また、中国外務省の王毅次官は13日、阿南惟茂駐中国日本大使を同省に呼び、被告小泉の靖国神社参拝に対し「中国政府と人民は強烈な憤慨を表す。・・・参拝は中日関係の政治的な基礎に損害を与え、中国人民とアジアの被害国人民の感情を傷つけた。両国関係の今後の健康な発展に影響を与える」と批判した。(8月14日、朝日新聞)

  (3) マスコミは、「首相の靖国参拝はそもそも、憲法20条の政教分離原則に照らして疑義がある。同神社は戦前、戦中は天皇に命をささげた軍人や軍属らを『神』としてまつることで戦意高揚の役割を担う、国家神道の中核的存在だった。戦後は一宗教法人となったが、78年からは東条英機元首相ら東京裁判のA級戦犯が合祀されている。・・・・参拝に先だつ首相談話では、『アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた』ことへの悔恨と反省が語られている。心底そう思うのなら、近隣諸国の不信を招く参拝そのものをやめるべきだった」(8月14日、朝日新聞社説)と論評した。

     海外では、被告小泉の靖国神社参拝に反発した韓国の市民らが14日、各地で抗議デモを開いた。ソウル市内の繁華街、鍾路では、市民団体や学生ら数百人が集まり、参加者らは「小泉首相の靖国神社参拝は日本の軍国主義復活の前兆だ」などと語った。(8月14日、朝日新聞夕刊)

         朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国営朝鮮中央通信は14日、被告小泉の靖国神社参拝について「日本帝国主義に敗北を宣告し、東条英機はじめ侵略戦争の張本人をA級戦犯として極刑に処した20世紀の歴史の公正な判決と21世紀の歴史発展の要求を無視する公然たる挑戦」と非難した。(8月15日、朝日新聞)

         被告小泉が13日に靖国神社を参拝した際、本殿参拝前に身を清める「お祓い」を受けていたことが15日明らかになった。靖国神社側は、被告小泉がお祓いを受けたことを認め、「通常の参拝形式にのっとったものだ」としている。神社側の説明によると、被告小泉は本殿での参拝の前、拝殿で当日の神職からお祓いを受けたという。(8月16日、読売新聞)

  (4) 終戦記念日の15日、東京・九段の靖国神社に小泉内閣の5閣僚が参拝した。中谷元防衛庁長官、武部勤農水相、村井仁国家公安委員長、片山虎之助総務相、平沼赳夫経済産業相が午前中にそれぞれ参拝をすませた。14日までに塩川正十郎財務相、竹中平蔵経済財政担当相、尾身幸次沖縄北方担当相、柳沢伯夫金融担当相が参拝しており、小泉内閣の9閣僚が参拝したことになる。

     武部氏は「一人の国民として政治家として当然の気持ちを表した」と述べたが、記帳はしなかった。中谷氏は「『国務大臣・中谷元』と記帳、私費で献花料2万円を出した。公私の区別については『公的とか私的とかいう以前に、日本人として心を込めての参拝。A級戦犯に対する参拝の意味合いはない』と語った」(8月15日、朝日新聞夕刊)。

     その他、終戦記念日の8月15日、靖国神社には自民党を中心に国会議員の参拝が相次いだ。超党派の「みんなで靖国神社を参拝する国会議員の会」(会長・瓦力元防衛庁長官)は88人で集団参拝した。自民党かの山崎拓幹事長、堀内光雄総務会長、竹山裕参院議員会長、古賀誠前幹事長らが参加し、閣僚からも片山虎之助総務相、平沼赳夫経済産業相、村井仁公安委員長の3氏が加わった。民主、自由、保守各党の議員も参加した(8月15日、朝日新聞夕刊)。

  (5) 被告小泉は10月8日、中国の江沢民主席、朱鎔基首相と相次いで会談した。被告小泉は日中戦争の被害者に対し、「心からのおわび」の意を表明。江主席は「日中間の局面は緊張緩和に向かう」としつつ、「靖国神社には(太平洋戦争の)A級戦犯がまつられている。日本の指導者が参拝すれば、これは複雑な結果になる」と指摘し、来年以降の首相の参拝に強い懸念を示した。江主席は被告小泉の靖国神社参拝について「靖国には日本の軍国主義の戦犯がまつられている。日本の指導者が参拝すれば重大な問題となる。アジアの人民は日本が同じ道を繰り返し踏むか、とても警戒している」と語った。(10月9日、朝日新聞)

  (6) 被告小泉は同月15日、就任後初めて韓国を訪れ、金大中大統領と会談した。この中で靖国神社参拝問題について金大統領は「A級戦犯の合祀が問題であり、善処するよう切に期待する。総理が言っているような国内外の人々がわだかまりなくささげられる方法を研究して、必ず実現して欲しい」と話した。(10月16日、朝日新聞)

 

 4.本件参拝への国内の批判や反響

  (1)  国内でも、本件参拝への批判がまきおこった。

    全日本仏教会は7月11日、自民党本部に「首相及び閣僚の靖国神社公式参拝中止の要請」を被告小泉あてに送った。今年で21回目。首相や閣僚の公式参拝は「信教の自由」「政教分離の原則」に違反することは疑いのないことと警告。そして「戦没者の追悼は、国家が特定の宗教にかかわって行うべきものではなく、各ご遺族がそれぞれに仰ぐ宗教によってなされるべきもの」としている。(7月19日、仏教タイムス)

  (2) 日本基督教団の靖国・天皇制問題情報センターは5月28日、被告小泉宛に「靖国神社への参拝を取り止めることを求める」申し入れを送った。そこには「85年の中曽根首相の参拝を最後に首相の参拝は立ち消えになっていたのに参拝するのは、再度正面突破に挑戦するもので、断じて許すことはできません」としている。

    6月1日には、日本キリスト教協議会が被告小泉宛に「首相の靖国神社参拝反対の要望書」を送った。そこには「アジア太平洋戦争中、日本軍によって殺された2千万人ともいわれる人々の遺族を含むアジア太平洋戦争の犠牲者に大きな痛みを与えます」とある。

 

第4.靖国神社の沿革と役割

 1.東京招魂社の創設(1869年6月)

   靖国神社の前身とされる東京招魂社ないしその招魂思想の特徴は、主として次の3点にある。その第1は、祭神が天皇軍側のみの戦死者という点である。第2は、臣下が祭神となり、その臣下を祭る弔祭に天皇自らが参拝するという点である。第3は、他の神社とは異なり、陸・海軍省が所管し、その弔祭に当たっても陸軍卿・海軍卿が交替でその祭主を勤めるという軍の宗教施設であったことである。

   東京招魂社は、天皇に忠義を捧げた「臣民」たる軍人が死して「現人神」である天皇によって祀られる国家宗教施設であり、その目的は、「天皇への忠」の思想の絶対化を図ることにこそあった。そして、このような特徴は、その基本において靖国神社にそのまま引き継がれた。

 

 2.靖国神社への改称

   1879年6月4日、東京招魂社は「靖国神社」と改称されると同時に、別格官幣社の社格が与えられて政府の行政組織の中に取り入れられた。靖国神社及びその地方分社とも言うべき護国神社についてだけは、敗戦後の1946年9月まで、その境内敷地は直接政府(内務省)の管轄する国有地とされており、まさに政府直轄の国家宗教施設であった。

   靖国神社の祭神は霊璽簿に登載された天皇軍側の戦死者でなければならず、その決定権は軍当局にあり、究極的には天皇の保持するところであって、戦死者らは完全に神格化された「靖国の神」「英霊」へと昇華されていった。

      前述の霊璽簿を「正殿」に祀ることにより人霊は「神霊」になるが、この神霊は皇祖皇宗の神々や現人神である天皇の配下と位置づけられており、現人神たる君主・天皇が親拝することによって、より一層国家の中での権威が高められた。

      靖国神社には、明治維新前後の内乱による死亡者7,751名をはじめとして、日清・日露両戦争及び15年戦争の戦死者やいわゆるA級戦犯を含めて250万人余りが合祀されている。

 

 3.靖国神社の性格と役割

      明治新政府は、倒幕の象徴とされた明治天皇を神格化する政策を実行し、古来から自然宗教的な性格を持つ民族信仰として形成されてきた神社神道を基礎としつつ、「天皇は天照皇太神の子孫であり、日本国の国土・国民のすべてが天皇=天子様のものである」(明治初期に政府が国民に向けた告論)との「論理」を出発点として、新しい形の神道を国家政策の中で創設していった。

      1868年、太政官は「祭政一致」を布告し、神社神道の国教化を明らかにした。

      同年「神仏判然令」が出され、以後、排仏毀釈政策、神祗制度の復活と改革、伊勢神宮・熱田神宮等天皇制宗教の中核をなす神社への天皇の参拝等一連の措置を通じて、神社神道はまさしく国教としての地位を獲得していった。

      1872年の「三条の教則」は「第1条:敬神愛国の旨を体すべき事。第2条:天理人道を明らかにすべき事。第3条:皇上を奉載し朝旨を遵守せしむべき事」と定め、天皇崇拝と神社信仰を主柱とする近代天皇制の宗教的イデオロギーの基本を示している。

      1882年、明治政府は神社神道を「国家の祭祀」として一般の宗教から切り離した。いわゆる「祭祀と宗教の分離」である。「神社神道は国家の祭祀であって宗教ではない」という名目の特異な国家神道が誕生し、一般の宗教の上に君臨するものとして位置づけ、他の宗教を支配統制するとともに、信教の自由・政教分離による批判を封殺した。

      このようにして確立した国家神道は、同年の「軍人勅論」、1889年発布の明治憲法、1890年の「教育勅語」によって、天皇を最高の祭祀者とする「惟神」(神道)の教義を思想的にも法的にも完成させ、国民の使命が天皇を頂点とする神道国家への翼賛・滅私奉公にあることを説き、神道を最上位とする道徳律を国民へ強制したのである。

   国家神道の教義は、日本を万邦無比、万古不易の神国とし、「現人神」たる天皇をもって神聖にして侵すべからざる万能の存在とするが故に、外に向かっては「神国日本」の絶対の優越性を主張し、全世界を指導する聖なる使命が託されているとした。したがって、それは天皇の名による戦争は無条件として美化するという軍国主義的侵略主義的思想の基底となるとともに、すべての「臣民」に対しては、神たる天皇の慈育に報いる絶対の忠順を要求した。その忠順の極限が「大御心」の命あらば、勇んで死地に赴き、身命を賭することであった。そして、「君」に至誠殉忠を尽くせば、死して「靖国の神」となり、天皇の仁慈によって祭られる。これが靖国神社の思想の根本であった。

      靖国神社は、わが国最初の本格的な対外戦争である日清・日露戦争を機に、戦没者の慰霊顕彰と天皇制帰依教化の施設としての機能をいかんなく発揮し、軍国主義の生成・発展についての最大の精神的支柱としての役割を果たした。1931年の満州事変に引き続く日中戦争、さらには1941年12月に始まる太平洋戦争による戦火の拡大に合わせて、靖国神社は連年戦没者を合祀して臨時大祭を執行した。合祀された祭神たちは護国の英霊とされ、全国民は靖国神社への崇敬を義務づけられ、戦争完遂のために戦死者を正当化する宗教的あるいは思想的措置としてきわめて重要な役割を担った。

 

 4.戦後の靖国神社

      1946年日本国憲法が公布され、その第20条を以て政教分離原則を定めるとともに、第9条によって戦争をも放棄し、二度と再び政府の策謀によって戦争の惨禍を起こさせないことを宣言した。

      1946年靖国神社は単立の宗教法人として運営されることとなった。しかし、天皇を「現人神」とする国家神道を志向するその根本的性格は変わらなかった。

      靖国神社と天皇との結び付きは、戦後においても色濃く残され続けてきており、1952年以後も前後7回にわたって天皇参拝が繰り返されたが、これは天皇の参拝を最も重要なものとしてその祭祀の中心に据えてきた靖国神社の本質が失われていないことを示すものである。

      また、靖国神社はキリスト教などの遺族からの切実な合祀取り下げ要求を頑として拒否し、その合祀事務は今日もなお国が協同して行っており、政教分離原則を踏みにじる靖国神社と国家のこのような結び付きは、戦後40年以上を経ても離れることのできないほど強固なものとして連綿として続いている。

      以上のとおり、戦前は軍事宗教施設であった靖国神社は、戦後、憲法および「神道指令」により、国家との結びつきを遮断された。しかし、靖国神社の国家護持あるいは公的復権を目指す動きは、執拗に続けられてきた。

 

第5.靖国神社の復権と政府の動向

 1.「靖国神社法案」をめぐる動き

   靖国神社の公的復権を求める最初の動きは、1952年11月の日本遺族厚生連盟(日本遺族会の前身)第4回戦没者遺族大会における、靖国神社慰霊行事に対する国費支弁決議であった。

      その後、日本遺族会と神社本庁、靖国神社、全国護国神社会は互いに連携し、自民党議員を中心に結成された遺族議員協議会を動かして靖国神社の国家護持を目指し、そのための法案が現実の政治日程にのぼるのは1966年からである。ここでいう国家護持とは次のような内容を持つものと要約される。

  (1) 戦没者等の決定は、国の意思で行うこと。

  (2) 天皇や総理大臣その他の機関が公式に参拝できるようにすること。

  (3) 国費が支弁できるようにすること。

   諸論議の後、最終的な自民党案として議員立法の形で上程されたのは、1969年6月の第61回国会においてであった。

   同法案は審議未了となったが、その後も立法化の動きは継続された。だが、第63回国会(1970年)、第65回国会(1971年)、第68回国会(1972年)と4たび審議未了を繰り返した後、第71回国会(1973年)で継続審議となるも審議凍結とされ、翌1974年凍結解除になると、その5月自民党単独採決により衆議院を通過したが、6月の参議院で廃案となった。

      この法案に対し、宗教界を中心に強い反対の声が挙がり、各地で野党、労働組合、市民運動などを交えて、抗議集会、デモ、ハンストなどが行われた。さらには与党内にも反対の声がみられた。

      1974年5月、衆議院法制局から提出された「靖国神社法案の合憲性」という文書を機に靖国神社の国家護持を求める動きは、一方で憲法「改正」を、他方で既成事実を積み重ねることで憲法の拘束をなし崩し、あるいは解釈の面から憲法を実質的に変えていくといった方向を目指すようになった。

 

 2.首相の靖国神社参拝と政府統一見解の変遷

      1975年8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式(武道館)に公人として出席した三木首相は、その直後「私人」として靖国神社に参拝した。終戦記念日の首相の参拝はこれが初めてであった。三木首相は私的参拝基準として、

  (1) 公用車の不使用

  (2)  玉串料を国庫から支出しないこと

  (3) 記帳には肩書きを付さないこと

  (4) 公職者を随行させないこと

   を挙げ自己規制した。

      ところが、1978年8月15日、福田首相は私的参拝といいながら、公用車を用い、3名の公職者を随行させ、「内閣総理大臣福田赳夫」と記帳して参拝した。前記4条件のうちあえて3つを無視し、ただ1つ玉串料を私費で支払ったのみであった。

      1976年6月「英霊にこたえる会」が結成された。1978年2月11日の「建国記念の日奉祝式典」を政府が後援し、同年10月A級戦犯が昭和殉難者として秘かに合祀され(翌年4月判明)、1979年6月には元号法が成立した。1981年9月25日中山総理府長官の私的諮問機関「戦没者追悼の日に関する懇談会」が発足する。1982年閣議決定により、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とした。このような一連の動きは、公式参拝に合憲性をもたらせようとした「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(靖国懇)へと引き継がれていく。

      1980年11月17日、鈴木内閣は「政府としては、従来から、内閣総理大臣その他の国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは、憲法20条3項との関係で問題があるとの立場で一貫してきている。・・・このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できないということにある。そこで政府としては、・・・国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは差し控えることを一貫した方針としてきたところである」と政府統一見解を表明した。しかし、1982年鈴木首相は「公人でも私人でもない」参拝をする事態となった。

      中曽根首相は、1983年4月21日、靖国神社春季例大祭で、内閣総理大臣就任以来初めての参拝を行うが、公私の区別を表明せず、「内閣総理大臣たる中曽根康弘」の参拝と明言した。同年7月、中曽根首相の指示を受けて自民党は靖国小委員会を再開し、従来の政府統一見解についても法制局見解の見直しを明示した。1984年4月、従来の政府統一見解の変更が自民党総務会で了承され、正式に党見解となり、公式参拝実現の一歩手前まで来ていた。

 

 3.靖国懇設置の経緯とその内容

      中曽根首相は、1984年8月3日、官房長官の私的諮問機関として「靖国懇」を発足させた。構成メンバーは15名で、翌1985年8月9日報告書を官房長官に提出した。

      上記報告書は、靖国神社への公式参拝の根拠を憲法との適合性においては、津地鎮祭事件に関する最高裁判決に求めたが、明確に結論が出せず両論併記にとどめた。

   「靖国公式参拝は、政教分離原則の根幹にかかわるものであって、地鎮祭や葬儀・法要等と同一に論ずることのできないものがあり、国家と宗教の『過度のかかわり合い』に当たる、したがって、国の行う追悼行事としては、現在行われているものにとどめるべきであるとの主張があったことを付記」している。

     中曽根首相は、その政治目標として、戦後政治の総決算を揚げ、また、旧くから靖国問題に積極的な発言をしてきた。中曽根首相は、靖国神社をその宗教性を維持したまま英霊を祀る施設として、国によって護持していくという見解を一貫して採ってきた。

 

第6.中曽根首相の公式参拝

 1.1985年8月15日、中曽根首相は公用車を使用し、官房長官ら2名を随行させ靖国神社を参拝した。拝殿で「内閣総理大臣中曽根康弘」と記帳し、本殿に昇殿、祭壇に一礼を捧げたのち深く一礼した。

   中曽根首相は、この参拝を「内閣総理大臣の資格で参拝した。いわゆる公式参拝である」と明言した。

 

 2.中曽根首相の公式参拝に対し、多方面から抗議・批判の声が挙がった。自民党を除く全ての政党から、抗議または遺憾の旨の声明等が出された。

      宗教界では、全日本仏教会、真宗教団連合、日本キリスト教協議会、日本カトリック司教協議会、日本パブテスト連盟、新日本宗教団体連合などから、抗議、反対、要望等が出された。それらの内容はさまざまであるが、「公式参拝」は日本国憲法に違反するもので反対である、との趣旨は一致していた。

      また、憲法研究者、日本婦人有権者同盟、国民文化会議等の市民団体も抗議声明を発表した。

      さらには、日本弁護士連合会も、公式参拝に先立つ1985年7月公式参拝問題に関する見解として、「いわゆる公式参拝も、憲法の許容しない国の宗教活動に該当し、憲法に違反し、公務員の憲法擁護義務にも違反すると思料する」旨を発表している。

 

 3.中曽根首相公式参拝違憲訴訟

   中曽根首相の靖国神社公式参拝に対し、国内外で批判の声が高まり、全国各地の地裁へ参拝を違憲として損害賠償を求める訴訟が提起された。

  (1)関西靖国訴訟

 @1審大阪地裁判決(89年11月9日)は、本件公式参拝が違憲か否かについて判断することなく、権利侵害がないとして請求棄却。

 A2審大阪高裁判決(92年7月30日)は、本件公式参拝は、

 .靖国神社の行事とは無関係、神職の主宰なしに、方式も一礼と、神社方式ではない

 .国費から支出された供花料3万円は、靖国神社に納められたものではなく、生花の金として支払われたこと

 .戦没者の霊を慰めることを主目的としており、靖国神社、ひいては神道を援助・助長・ 促進することが主目的ではない

 ことなどからすれば、20条3項、89条に違反しないと解する余地もないではないとする一方で、

 .靖国神社は、宗教法人法に基づく宗教法人であって、教義を広め、儀式行事を行い、信者を教化育成することを目的とし、そのための社殿等の施設を有する神社である。

 .宗教施設を有する靖国神社の本殿において参拝する行為は、外形的・客観的には、神社、神教とかかわりを持つ宗教的活動であるとの性格を否定できない。

 .衆議院法制局等の政府機関は、かつて、公式参拝は違憲ではないかとの疑いを否定できないとする統一見解をとっていた。

 .公式参拝に対しては、強く反対する者があり、未だ、右公式参拝を是認する圧倒的多数の国民的合意は得られていない。

 .内閣総理大臣や国務大臣が公式参拝した場合の内外に及ぼす影響は極めて大きい。

 .現に、本件公式参拝に対しては、日本国内でも抗議の声明等が多く寄せられ、中国を始め、外国から反発と疑念が表明されたこと。

 .本件公式参拝は、1回限りのものとして行われたものではなく、将来も継続して行うことを予定してなされたもので、単に儀礼的、習俗的なものとして行われたとは一概に言い難い。

 .以上の事実からすれば、当時におけるわが国の一般社会の状況下においては、本件公式参拝は憲法20条3項、89条に違反する疑いがある。

    と判示した。

  (2)播磨靖国訴訟

 1審神戸地裁姫路支部判決(90年3月29日)は、本件公式参拝の違法性については判断せず、本件公式参拝によって信教の自由が侵害されたとはいえず、政教分離原則規定は私人の法的利益を直接保障するものではなく、原告らの主張する被侵害利益はいずれも権利保護の対象として承認できない、として請求を棄却し、2審大阪高裁判決(93年3月18日)も、ほぼ1審と同様の理由により控訴を棄却した。

  (3)福岡靖国訴訟

 @1審福岡地裁判決(89年12月14日)は、

  .政教分離規定は制度的保障の規定であって私人の法的利益を直接保障するものではないから、その違反を理由に直ちに損害賠償請求することはできない。

  .公式参拝が原告らの信教の自由に直接干渉するものと解することはできない。

  .宗教的人格権、宗教的プライバシー権、平和的生存権なるものは、国家賠償法上法的保 護に値する明確な権利とまで認めることはできない、

       などとして請求棄却。

 A2審福岡高裁判決(92年2月28日)は、1審とほぼ同様の理由により控訴を棄却したが、「宗教団体であることが明らかな靖国神社に対し、援助、助長、促進の効果をもたらすことなく、内閣総理大臣の公式参拝が行われうるかは疑問であり、参拝の方式が神道の定めるところによらないということで、従来の政府統一見解で問題とされていた点が解消したとは必ずしも考え難い」として、首相の参拝が制度的に継続されれば違憲の疑いがある旨判示した。

  (4) 結局、中曽根首相の靖国神社参拝は1回で終わり、その後の歴代首相も靖国神社を「公式」  に参拝することはなかった。しかし、被告小泉は、首相となった本年8月に「内閣総理大臣」 としての本件参拝に踏みきったのである。それは、日本と世界の歴史に目をやろうとしない独善的な視野にみちた憲法秩序を無視する行為であり、憲法を遵守すべき公務員としての責務を全く放棄するものであった。

 

第7.本件参拝の違憲性

1.憲法における信仰の自由の保障と政教分離規定の意義

憲法20条1項前段は信教の自由を保障する。ここでいう信教とは宗教と同義であり、神、仏、霊など超自然的、超人間的本質の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為を指す。そして、保障の内容は、内心における信仰の自由、宗教活動の自由、宗教的結社の自由である。

加えて、憲法は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」(同項後段)、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(同条3項)、「公金その他公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のためこれを支出し、又はその利用に供してはならない」(89条)と規定しており、国家権力と宗教とを分離する規定、いわゆる政教分離規定を置いている。

政教分離規定が置かれた趣旨は、政治権力と特定の宗教が利用あるいは依存の関係で結びつくとき信教の自由及び民主主義を破壊する可能性が大であることが歴史上明らかであり、かつ、大日本帝国憲法下では信教の自由は制限付で保障されていたに過ぎず、神道が事実上国教化された結果、信教の自由が侵害され民主主義が崩壊した経験があるところから、このような事態の発生を未然に防止しようとするためである。

国家と宗教とのかかわりについては、前述の政教分離規定の趣旨を踏まえるならば、国家と宗教を緩やかに分離する立場を採ったものとはおよそ考えられず、国家と宗教とを厳格に分離する立場を採ったものである。これは日本の歴史に鑑みて十分合理的かつ必要なものである。

 

2.国及びその機関の宗教活動禁止規定の意義

憲法20条3項は、国及びその機関が宗教的活動を行うことを禁止している。

前述のとおり、この規定は政教分離規定の一環であり、厳格に解釈されなければならないから、「国及びその機関」には当然に公務員が含まれる。

もちろん、他方で公務員も個人として信教の自由を有するから、ここに含まれる「公務員」の行為は、公務員が私人としての資格で行っていることが明らかな場合は除かれる。

ここでの「宗教的活動」は、およそ宗教にかかわる行為を広く意味するものと解すべきである。この点について、最高裁判所は、禁止されるのは「行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」(目的効果基準論)であるとする。

しかし、前記政教分離規定の趣旨に照らせば、最高裁のいう基準は「宗教的活動」を極めて限定的に解することになる危険性が大きいことから、妥当とはいえない。

 

3.本件参拝は公務である。

被告小泉は2001年8月13日、秘書官を伴い、公用車で靖国神社に赴き、参集所で「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳し、本殿で神官から神道方式の「お祓い」を受けた上、一礼方式で参拝した。参拝後、被告小泉はマスコミの公的参拝か私的参拝かとの質問に対し、「私はこだわらない。首相である小泉純一郎が心をこめて参拝した」と語り、自らの認識について曖昧にした。

被告小泉は秘書官を伴い、公用車を使用して靖国神社に赴いていること、記帳に内閣総理大臣という公務員の肩書を使用していること、行為者本人が私的な参拝であると述べていないことなどからすると、公務員として公的に参拝したことは明らかであり、憲法20条3項のいう「国又はその機関」が行った参拝であるといえる。

 

4.本件参拝は宗教行為である。

被告小泉は靖国神社本殿において、神道式のお祓いを受けた後、同神社の祭神である英霊に対し一礼して参拝した。

靖国神社本殿は同宗教が神として信仰する英霊が祭られており、これに対する畏敬崇拝の行為をなす場所であること、被告小泉はここで身を清めるという意味での神道方式の「お祓い」を受けていること、一礼して祭神である英霊に対し畏敬崇拝の心情を示したことなどから、本件参拝が宗教活動に当たることは明らかである。

仮に最高裁の目的効果基準論を採るとしても、本件参拝は靖国神社が神として信仰する英霊に対し畏敬崇拝する心情を示すという宗教的意義を有することは明らかであり、前記の通り本殿という対象が祭られた場所で行われていること、一部神道の方式に沿った行為が行われていること、一礼式の拝礼行為は「二拝二拍手一拝」という正式な神道方式によらないものではあるが、英霊に対し畏敬崇拝の心情を示す行為であることに変わりはないことから、本件参拝は靖国神社が国家の宗教である、又は国家が靖国神社を特別に保護しているとの認識を与えるものとして靖国神社を援助、助長するものであることは明らかであり、本件参拝は憲法の禁止する「宗教的活動」に該当する。

 

5.信教の自由の侵害

被告小泉の本件参拝は、以下のとおり、原告らの信教の自由(宗教的人格権)をも侵害するものである。

(1)憲法13条は、原告ら市民は「個人として尊重され」、また、原告らの「生命、自由及び幸福追求に対する権利」は国政において最大限の尊重がなされるべきことを定めている。(憲法14条以下)

特に、憲法第19条「思想及び良心の自由」と同20条1項前段の「信教の自由」は、あらゆる基本的人権の根幹をなす精神生活における内的自由として絶対不可侵の権利とされており、原告らは、この内心の自由を保障されることによって初めて、個人の尊厳を確立し、各自の幸福を追求して、「人間らしい生き方」を実現できるものである。

(2)このような憲法20条1項前段の「信教の自由」は、

@特定の宗教を信仰する自由

A特定の宗教又はいかなる宗教も信仰しない自由

B特定の宗教を信仰すること又は信仰しないことを強制されない自由

C宗教を布教伝道する自由

D自己の信仰に基づいて社会的実践をする自由

E自己の信仰について意見を述べる自由

F自己の信仰しない宗教について批判する自由

が含まれることは言うまでもない。

そして、CないしFが、同時に、憲法21条の「表現の自由」の一態様でもある。

(3)さらに、(2)で述べた「信教の自由」の包括的態様として、原告らは、「日常の市民生活において平穏かつ円満な宗教的生活を享受する権利」すなわち「宗教的人格権」を有している。

ここにいう「宗教的生活」には、「特定の宗教を信仰し、これに則る生活」のみならず「無宗教ないし無信仰という生活(非宗教的生活)」も当然に含まれることは言うまでもない。

そして、国及びその機関が、特定宗教と結びつき、これに特権を付与する行為は、まさしく、原告ら各自が有する上述の「宗教的人格権」を侵害するものであり、原告らは、このような「国家のあり方」によって精神的圧力を受け、畏怖を覚えるものとなる。

(4)被告小泉の本件参拝は、国の機関として、特定宗教である「靖国神社」と結びつき、これに関与する行為であり、国や国の機関の権威をもって、原告らに対して、「靖国神社」の「宗教を賛同し、見習い、信仰せよ。これが奉じる超自然的存在を崇拝し、その教えを敬え」と「靖国神社」への信仰を鼓舞し、称揚し、これを信仰することを強制して、「靖国神社」を信仰しない原告らの「信教の自由」を侵害したものである。

それは、同時に、原告らの日常生活における「宗教的人格権」を侵害して、原告らに、精神的圧力と畏怖を与えるものである。

こうして、被告小泉の本件参拝は、原告らの人権を侵害するものであるから許されない。

 

6.平和的生存権の侵害

(1)日本国憲法は、戦前の日本が、個人を国家に直結して支配管理するファシズム体制により、「靖国神社」を中核とする国家神道の元で、個人の生命・自由・権利を国家において一元的に支配管理して、第二次大戦へ疾駆して、日本とアジア各国で、数百万、数千万の無辜の市民の命を奪ったことへの深い反省を踏まえて成立したものである。

(2)その反省を踏まえ、憲法前文が宣言し、9条が具体化する「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」こそが「平和的生存権」である。

(3)そして、前述の「靖国神社」の成立の経緯及び戦後のあり方をふまえるならば、被告小泉の本件参拝は、まさしく、「靖国神社」(これが表現している「尽忠報国」、「英霊」)という戦前の全体主義的な政治的シンボルを承認し、称揚し、鼓舞して、明白に憲法が定める「平和主義」、「戦争放棄」の大原則に違反し、原告らの有する「平和的生存権」を侵害するものである。

 

第8.原告らの被侵害利益と損害

 1.戦没者遺族たる原告ら

   被告小泉の本件参拝は、戦没者の死の意味をその遺族に対して強制し押し売りをするものであり、遺族が他者からの干渉・介入を受けずに静謐な宗教的あるいは非宗教的環境のもとで、肉親の死の意味づけをし、戦没者への思いを巡らせる自由を侵害するものである。

 

 2.宗教者たる原告ら

   原告らは全て、憲法第13条により「個人として尊重され」また、原告らの「生命、自由及び幸福追求に対する権利」は国政の上で最大限の尊重が必要と定められている。その具体的内容については基本的人権として憲法第14条以下に定められているとおりであるが、第19条「思想及び良心の自由」並びに第20条「信教の自由」はあらゆる基本的人権の根幹をなすものとして絶対不可侵の権利であり、原告らはこの内心の自由を保障されることによって初めて、各自の幸福を追求して人生をいきいきと生きることを得るのである。

   特に、「信教の自由」は近代市民社会成立の普遍的根拠であると共に、わが国においてはかつて国家神道体制下にあって、国家によって個人の生命が支配・管理され、基本的人権が大きく侵害されていたことへの反省から生まれた日本国憲法の基本精神でもある。この「信教の自由」には、前に述べたように信仰する自由、布教伝道する自由、自己の信仰に基づいて社会的実践をする自由、自己の信じない宗教を批判する自由、何も信仰しない自由などが考えられる。それらは最大限に尊重されるべきであって、国家が特定の宗教を強制することはもとより、人の内心の自由を侵害することは決して許されない。

 

 3.特定の宗教を持たない原告ら

   本件参拝は、戦没者遺族や特定の宗教を持つ人に対する直接的な侵害行為に留まらず、特定の宗教を持たない原告らに対して、無宗教ないし無信仰という生活(非宗教的生活)を平穏且つ円満に享受する権利を侵害した。

 

 4.以上のとおり、原告らは今回の被告小泉の靖国神社参拝によって大きな精神的苦痛を被ったのであり、その苦痛を慰謝するには金10万円を下らない。

 

第9.被告らの損害賠償責任

1.被告国の責任

      本件参拝は、被告小泉が公務員たる内閣総理大臣として、憲法を無視して故意に強行した違法行為であり、これにより原告らは前記損害を蒙ったものであるから、被告国は、国家賠償法1条に基づき、原告らの損害を賠償する責任がある。

 

 2.被告小泉の責任

      本件参拝は、被告小泉が故意をもって原告らの権利を侵害する不法行為を行い、これによって原告らは前記損害を蒙ったものであるから、被告小泉は、民法709条に基づき、原告らの損害を賠償する責任がある。

      よって原告らは請求の趣旨の通り、被告らに対し、連帯して、原告ら各自に対して一人金10万円ずつの慰謝料の支払いを求めて本訴に及んだ次第である。

 

 

添 付 書 類

 

1.訴 状       正本1通、副本2通

2.訴訟委任状          40 通